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臨済宗 普門算 正覚寺
住所:沼津市小諏訪518-1
電話:055−963-0385
本尊:薬師如来
本山:京都府 妙心寺
開山:方室玄策禅師

正覚寺は今から約三百年前、原の徳源寺
第九世方室玄策禅師を開山に迎え、
小諏訪の旧東海道沿いに徳源寺の末寺
「自覚庵」として創建されました。

自覚庵薬師如来意縁起
延宝八年(1680)元日早朝、前夜に竹林の中で異様な光を見た青野の村人たちが行ってみると、眩いばかりに輝く仏像を見つけました。五年程青野村に安置しましたが、松長村の人々に請われて松長に移されました。二年程たって松長に災いが起こり、人々は仏像にお堂がないことが原因だと考えました。同村の廣瀬豊房はこの仏像を大変尊崇していたので、お堂の建立を発願しました。そこですでに閑栖(隠居)していましたが、徳望の高かった方室和尚に相談しましたところ、一院を建立したほうがよいというとことになりました。廣瀬氏は数年間辛苦して近里遠村の門を叩いて勧進にまわりました。元禄二年(1689)小諏訪の山田家より寄進された現在地に一院を落成することができました。廣瀬氏は方室和尚に、寺号をつけることと住職となることを懇願しました。方室和尚により「自覚庵」となり徳源寺の末寺となりました。
沼津空襲で爆弾の直撃を受け堂宇は全焼し、古い記録はすべて失われましたが、徳源寺より譲り受けた方室和尚直筆の『自覚庵薬師如来縁起』が現在当地に残されています。その中では、この薬師如来は聖徳太子の作と伝えられています。空襲の時には、老寺庭が厨子ごと背負って逃げて焼失を免れました。

おまつりする他の仏像
本堂入口には十六羅漢の一人『鬢頭廬尊者』を安置し、「なでぼとけ」として親しまれています。かなり古いものだったようですが、空襲の時に焼けてしまい現在は戦後のものです。
境内には三つの御堂があります。先々代の住職がうつしてきた、安産・子育ての仏像である『壺日審大菩薩』、小諏訪の網に引き上げられた地蔵菩薩、そして白衣観世音菩薩を安置しています。この白衣観音は、天保八年(1837)今沢で疫病が起こった時に、杉本家七代目当主庄右衛門氏が知り合いの行者より譲り受け、日夜参籠祈祷したら疫病が治まったといわれるものです。時を経て、杉本家より当寺へ寄附され、今も毎月17日には観音講が行われています。
自覚庵として二百八十年程歴史を刻みましたが、昭和四十六年、本堂再建に伴い、先住職福田州弘和尚により「普門山 正覚寺」と寺号を改めました。
住職 小幡宗寛

おびんずるさま
おびんずるさまは十六羅漢の一人ですが
日本では「なでぼとけ」の別称で喜男喜女
信仰を集める佛さまです。昔から像を
撫でると病気が治まり、病気にかからない
として崇敬されています。
鬢頭廬尊者にまつわる伝説として
次のことがあります。

 
『釈尊が舎衛国にいられたとき、給孤独園の長者の娘が釈尊とその弟子たちを招じて供養をしたいと申し出た。各弟子たちは喜び、神通力を持って供養先の「ふるなだっだな」に行ったが、びんずるだけは神通力をもって逆に山もろともに自分の方に引き寄せるといういたずらをして釈尊から叱られ大目玉をくった。釈尊はびんずるに「お前は神通力をもっていたずらしたが、その罰として永久に涅槃を取ることはならん。ながくその身で人天のために供養し、世の中の大福田とならねばならぬ」と罰せられたため、未だに涅槃ができなく現在も人間の病を治したり、語黙不動の中で大法を説教していて人寿が七万歳に及ぶとその罪が許されて経を誦し、舎利塔の周をめぐって入涅槃すると雑阿舎経に説いてある。』

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